音楽について
ボカロとクラシックが好きだ
最近ボカロが好きになった。かいりきベア、家の裏庭でマンボウが死んでるp、みきとpあたりの曲をよく聴く。
じん(自然の敵p)の「カゲロウデイズ」を聴いたのがボカロにはまるきっかけだったなぁ。
それまでクラシック音楽マニアで現代の曲は好きなもの少なかったけど、今はボカロというジャンルが好きな音楽に加わった。しかし、よく考えてみると対照的だ。クラシック音楽という古い音楽と、ボカロという超最先端なハイテクな感じの音楽が好きなわけだから、どちらかというと相反する存在って感じだな。
クラシック音楽はピアノの曲が好きだ。特にショパン、ドビュッシー、あたりの曲が凄く好きだ。
ついでに、たまたま家にぼろい電子ピアノがあったおかげで、ピアノで曲を弾くことも好きになってきた。
無謀ながらショパンの「革命」OP10-12を弾けるようにするために練習しているが、左手がきつい。ピアノ素人に「革命」は難しい。
しかし、練習していて何気に手が動くようになってくるから、革命を弾くことは無理なことはない。ベートーベンの月光ソナタしかまともに弾ける曲がない趣味程度でピアノを弾いている俺の感覚からするとね。しかし、「上手く弾く」っていうのは難しい。
一日4時間ぐらい練習する時間が取れるなら、3か月ぐらいあれば一応形にはなりそうだと思う。しかし、それはむりそうだから、弾けるようになるのは来年かな・・・。楽しみでもあり、辛くもある。しかし、自分の意志でする努力って楽しいね。気が向いたら自分でピアノ弾いてYoutubeで公開してみるか。
ピアノを弾いてみたいけど難しそうだなと思っている人は、ベートーベンの月光ソナタ第一楽章を最初に弾いてみるのがお勧めだ。左手はほとんど動かさないうえに、右手はソドミソドミ・・・の単純な楽譜な割には、結構きれいな曲だ。
ショパン前奏曲第4番Prelude Op28-4もお勧め。この曲は右手はほとんど指を使わないし、楽譜も短いので単に弾くぶんには簡単だと思う。
このブログの総記事数50超えた
ブログ投稿数50記事以上を達成
人によっては1000記事ぐらい余裕で1年以内に書けるのだろうが、文章能力の低い俺には一年で50ぐらいが限界だ。
今では、「アイディアを文章にする」という作業自体には慣れてきたので、今年はもっと書けるのかもしれない。
しかし、自分にしては上出来だと思う。時には自分で自分をほめてみよう。自画自賛だ。
自画自賛とか、自慢とかについて思うんだが、俺は自慢する人間は大歓迎だ。しかし、条件は、他人と比べないこと。
誰かが「俺の絵はうまいだろー」みたいに言っていても、それが実際に優れているのなら、それは紛れもない事実なのだから、何の嫌な要素も害もないわけだ。
むしろ、自分自身の得意な事とか成果とかを話してくれると、心を開いてくれたような自分を信用してくれているような気さえする。さらに、他人はどんな趣味とか能力とか持っているのかが知ることが出来て、新たな発見があるから楽しい時もある。
自慢話を聞くのは、相手の世界に入り込む招待状を受け取って、相手の心の中を冒険していくみたいで結構良いと思う。
逆に、めちゃくちゃ自分自身を下卑している人も面白い。
超優秀なのに「俺はだめだ」みたいにネガティブな事ばかりいっている人を見ていると、なんだか面白い。あと、自分の能力を過信しすぎるのも良くないのでこれはこれで良い。
しかし、(あいつよりは俺のほうが優れているぜ!)みたいなタイプの自慢人は好きではない。なんだか「他人は自分より劣っているのだ」と馬鹿にしているみたいでいやな奴だな~と思う。そのうえ、人それぞれ優れている能力のベクトルが違うんだから、自他間に優劣があるとは限らない。
自画自賛や自慢の話はここまでにしておいて、「ブログ」について話そう。
50記事記念だ。
俺がブログを始めたきっかけは、ゲームアプリの紹介記事を書いて、広告をそれに張って、お金を得ようと考えたからだ。
超単純な理由だね。
しかも、文章書くのが得意じゃないくせにそんな調子のいいことを考えていたのだ。なんだかおもしろい、バカだなー。
もちろんそのゲーム紹介ブログは大したアクセスもなく、一円すら稼げてない。
今でも、放置されたゲーム紹介ブログがある(ごくまれに更新してるけど)。
しかし、ずっとやっているうちに、別のことに興味が向いて、いったんブログから離れていた。そして再びブログを書いているうちに、文章を書くのにはまってしまった。
俺は文章を考えるのが遅いから、この記事でたかが50記事目だが、こんなに文章を書き続けたのは、このブログが初めてかもしれない。
自作の小説(黒歴史)を過去に書いたことがあるが総文字数はこのブログの足もとにも及ばないと思う。
最近ふと気づいた。「俺、知らないうちにブログを書くことが好きになっているのかもしれない」
ブログの質はおいておいて、継続的に何か自分で考えた文章を書き続けることが出来るようになっている。
やはり、誰からも強制されてないことってすごく楽しく感じるんだなぁ。と実感する。
文章書くのが好きでないのに(読むのはもとから好きだが)わざわざブログ書をいている。
嫌いなものでさえ、自発的に、(遊び感覚で)やってみたら思った以上に面白かった。
面白いと、自然と取り組む量も大きくなる。長く続ければ、能力も自然と上がっていって、誰でもある程度は実力が身についてくる。
俺は「強み」を「自発的」に「遊び」の中から見出すタイプなんだなと思った。
昔はすごく嫌いだったけど、自分で遊び感覚で取り組んでみたら、案外楽しくて今は自分の「最大の強み」になっている事も多い。
たいして役に立たない内容に終わったが、「遊ぶこと・楽しむこと」は凄いことであるといいたい。嫌いなものが好きになるんだから「すごーい」としか言いようがないな。
すごく楽しいことを見つけたら飽きが来るまで没頭しよう。
移動式
移動式という名前をつけた理由を後付けしてみた
場所や時間に縛られずに好きなように移動できるという生物本来の性質を取り戻したい。
自分にはそんな願望があるのではないかと思って「移動式」というハンドルネームを思いついた。
以前は「移動式生ごみ」というすこし汚そうなハンドルネームだったが。
人間は本来、どこにでも移動できる。
例えば日本からブラジルだろうが南極だろうが、物理的に行くことは可能だ。現代には飛行機があるし、昔でも船に乗れば行くことはできる。
そして、ロケットに乗ることができれば、宇宙に行くことだってできる。この世界はとてつもなく広い。時々自分の置かれている世界を意識してみると、思う以上にわくわくしてくる、夢や希望にあふれた世界(場所によっては地獄みたいな世界。紛争地帯で死ぬとか奴隷として生まれたときとか)なんだと思う。
大抵の人間は、狭い世界に生きていると思う。自分自身も死ぬほど狭い世界に生きているし、自分の住んでいる県にに隣接している都道府県でさえ行ったことがない場所がある。
別に誰から「行くな」と禁止されているわけでもない。そして、「法律で遠くに移動してはいけない」と決められているわけでもない。
それなのに、この「地球」というフィールドをまだ1%以下しか味わっていないなんてもったいない気がする。
同じ場所にずっと住み続けて死ぬ場合、ドラクエ8のトラペッタの街(最初に主人公が行く町)を延々と散歩しているのと同じようなことだとさえ感じる。せっかく買ったゲームなのに、最初のステージしかプレイしないなんてもったいないし飽きてしまう。3000円で買ったゲームソフトに込められた3000のうちの2999円分ぐらいの「夢」捨てているんじゃないかと感じる。
実際に、現実世界はドラクエ8よりも広い。ドラクエ8のサヴエッラ大聖堂を見たことがある人はドイツのケルンにあるケルン大聖堂やフランスのアミアン大聖堂のような建物をみて、軽くデジャヴを感じると思う。実際のゴシック様式の教会からデザインのヒントを得たのだろうと思う。ゲームも馬鹿にできないね。
↑東京の上野を散歩
生きていて、なんだかだるくなってきたり、精神的に疲れたりと、リフレッシュしたくなったら、何も考えずに適当に遠い場所に旅にでも行って、何か月もその周辺でふらふらしていたい衝動に駆られる。
最近、衝動的に無計画に東京の上野まで電車で行って、その周辺をぶらぶらしていたらなんとも爽快な気分で、精神的に楽になるような気分になったし、未開拓の土地に冒険に出かけるようなとてつもないわくわく感で心が満たされた。気分に任せて適当なところに大移動することの楽しさを再認識できた。
そのうち地球上を放浪したいなぁ・・・
学校と家を往復したり、バイト先、職場を往復するだけの延々と同じ動きを繰り返す産業用ロボットみたいな日常を送っていると、精神が腐ってきて、なにか気持ちの悪いもやもやした感覚が全身にたまってくる。そのうえ決められたスケジュールに従ているうちに、何も考えなくなってきて、ものすごく怠惰な生活になってくる。
C言語でいうwhile(1){}(←C言語でこれやると無限ループ)の{}内に閉じ込められたような気分だ。
夏休みみたいな長期休暇中は、なにも自分をしばる予定がない。例えば、宿題を初日付近で全部片付けてしまうので、余計なノイズもない。そして、寝転がってだらだらしているうちに、体と頭がさえてきて、自分の脳みそで日々の計画が次から次へと思いついていく。
教科書のずっと先の部分まで予習したり、出かけたり、体を鍛えたりと、かなりアクティブな生活になってくる。一日何十キロも自転車をこいで、ブックオフの100円コーナーの本をむさぼった良い思い出がある(図書館だと遠くまで返しに行く必要のでめんどくさいから、自分の本を家でゆっくり読みたい)。
その後、筋肉痛がひどくて少しの間動く気にならなかった。まさに「移動式」というアクティブな状況だ。体質的に病気なんじゃないかと心配になるほど疲れやすいからだらだらする時間もあるのだけれども。
しかし、夏休みが終わって時間がたつごとにその気力が右肩下がり。
人生には所々break;(c言語においてwhileなどのループから抜け出す)が必要だということだ。
while(1){}から抜け出さないと脳みそがオーバーヒートして焼け焦げる。
だからループを抜け出して、時々クールダウンする必要があるのだろう。
そもそも人間は、ずっと昔、赤道付近を目指して長い距離を移動したりとか、大陸の端から端まで移動してたわけだ。
俺には人類大移動とかアメリカのフロンティア時代のときの入植者たちのような冒険者的感覚が本能に染みついているのかもしれない。
俺は普段、「不動式」だ。精神的なキャパシタンスを消耗しきらないようにうまく省エネな活動を心掛けて、人並みに日常生活を送ることが出来る。
俺はこれといった縛りのない自由な環境にポーンと放り出されると、最初は電源OFFになるが、体力・精神力が回復すると、脳内で普段封印されている「移動式」が目覚めるのかもしれない。
封印されていた時の鬱憤を晴らすかのように消耗しきったエネルギーを吐き出して、「俺」に考える力や動く気力を与えてくるのだ。そして、長期休暇が終わると日を追うごとに決まりきった怠惰な時間の流れに飲み込まれて「不動式」へと変化してしまうのだろう。
ハンドルネームが移動式生ごみだった時がちょうどおれの「不動式」モードだったようだな。
これからも休むときは休み、学校(または会社)で勉強するとき(働くとき)はすると、メリハリをつけていきたいものだ。
だらだらと、頑張りすぎたりさぼりすぎたりしないように心掛けないとずっと何もやる気ないモードになってしまいそうだ。
ヴァルガビンゴの「犯罪特区」について
悪人は悪人による悪人のための地区に住めという発想
このヴァルガビンゴという漫画1巻の最後のほうに出てくるが、悪人だけをまとめて、一つの地区に住まわせる犯罪特区という考えは、良いアイディアだと思う。
基本的に、悪いことをすると、刑務所に閉じ込められたリ、死刑になったりと、罰を受けることになる。そこから出られても、前科がつき、仕事を探すのにも苦労して、再び社会からドロップアウトして犯罪に走る。という悪循環が生まれてしまうように思われる。
犯罪者を社会復帰させたり、再び犯罪を起こさなようにすることが大切だ。
悪人を無理に善人にさせるのではなく、ありのままの悪を認めるべきだと思う。人間はロボットではないのだから、悪い人間や、変な人間がいることは当たり前のことだと思う。
本当に悪い人間は根本的に自分の考えを変えることは無い、または、生まれつき他人の痛みや苦しみを何とも思わないサイコパス的性質の人間もこの世には一定数いるのだから、そ
ういう人たちをしらみつぶしに善人に仕立て上げようとするなんて、非効率だと思う。
だからと言って、犯罪者はみんな死刑にするのもやりすぎだ。
それならいっそのこと、犯罪者だけで集まる場所を作ったほうが良い。そして、その領域に犯罪者を閉じ込めてあとは彼らの自由にやらせるというほうが良いのではないか。
犯罪者が刑務所で罰を与えたところで、そこから出所すれば再び犯罪を起こすことはできるわけだから、「犯罪特区」に閉じ込める。
単に、悪者をやっつけて終了!を繰り返すだけのヒーローものでなく、ブラックな感じが漂っていて、一巻目から胸ぐそが悪くなるような終わり方(主人公のおばあちゃんが・・・!)のこの漫画の今後に期待する。
最初のほうでキモイ怪人が読者に語りかけてきたり、ワンパンマンの世界みたいに「ヒーロー」が一般的な存在になっている感じも面白い。
電子部品
電子部品の紹介
せっかく電子部品が大量にあるのだから、写真付きで電子部品紹介でもするか。部品の性質とかほぼうろ覚えだから間違えてるかもしれないけど。
コンデンサ
電気を貯めるための部品である。電気を貯められる量の単位はF(ファラド)
電気を貯めるだけでなく、信号内に含まれるノイズを取り除いたり、ACアダプタ内の交流を直流にする過程で、波形をきれいにするために使われている。
電解コンデンサ、セラミックコンデンサ、マイラコンデンサ、タンタル電解コンデンサなどの種類があり、極性のあるものとないものが存在する。
電解コンデンサには、極性が存在する。このラインがはいっているほうが-でそうでないほうが+である。
↑左(黄緑色のやつ)がインダクタで右が抵抗器
見た目は似ているがきみどり色のは大抵インダクタ。
抵抗器
電流を流れにくくする働きがある。抵抗値の単位はΩ(オーム)
抵抗値のカラーコード読み方は上の図のようになっている。
上の図では、左から三番目の線は、乗数となっている。この場合、赤は「2」をあらわしているので、10の二乗ということになる。
上の図抵抗値は、1(茶)0(黒)×100(10二乗)=1000Ωとなる。
インダクタ
インダクタ(コイル)。見た目が抵抗器みたいなものもある。単位は(H)ヘンリー。ヘンリーかぁ・・・ドラクエ5あたりににそんな名前のやついたなぁ。
トランジスタ
信号を増幅する働きがある。簡単に言えば、ラジオなどで、受信した電波や音楽の音の波形を大きくして、聞こえやすくするみたいな感じ。
三本の足は、エミッタ、ベース、コレクタとそれぞれ呼び方がある。
ダイオード
整流作用がある。整流とは簡単に言うと、交流を直流に直すことだ。交流は、+とーが常に入れ替わって流れている。(例えば50HZのコンセントの電流は、一秒間に50回+と-が入れ替わっていることになる)その交流電流を電池のようにプラスとマイナスが入れ替わらない、ずっと直流にすることを言う。
しかし、ダイオードで整流しただけだと、極性の向きは変わらなくなるが、波形は波打っている。そのため、充電器などではコンデンサやインダクタなどで波形を整えて、さらにきれいな直流にしている。
交流と直流のイメージ図
図の左は交流で、電流の向きが右から左、左から右、と変わり続けている。図の右は直流で、電流の向きがずっと一定である。
何気なく使っている家庭用電源は、一秒間の間に何度もプラスとマイナスが入れ替わっているという激しいものということだ。
さぁ、これを見ている君たちも、壊れた電子機器を分解してみよう!ここで紹介したような部品がたくさん出てくるよ!
bluetoothイヤホン 安い
秋葉原で、500円でBluetoothイヤホンが売っていた。
近所の電器屋では安いものでも1000円以上はした気がするが、それと比べてかなり安い。
ということで、このBluetoothイヤホンを買ってみた。
買った時からすでに壊れていたりして!なんて思ったが、そんなこと無く、ちゃんと作動した。音質も悪くはない。
普通のイヤホンは、コードが絡まったり、引っかかったりして、不便だ。充電が必要ないこととなくしにくそうなところが良いんだが。充電はスマホみたいにUSBでできる上に満タンになるまでの時間が早いから、パソコンでもいじくっているときにUSBさして充電しておけば大丈夫だ。
bluetoothイヤホンでショパンの曲でも聴きながら、この2lで100円ぐらいでコスパ最強の麦茶で優雅なティータイム・・・って感じだな。低コストな贅沢。
収集癖
電子部品コレクター
自分には収集癖は無いと思っていたが、部屋を片付けているときに電子部品の大軍を見て思いだした。軽く収集癖があったことを。
幼稚園児ぐらいの時から、家電等の電子機器類の中身に興味をひかれていた。
ドライバーでねじを回し、ふたを開けてみるとカラフルかつ、大小さまざまな部品がぎっしりと詰まっていて、見ていて気持ちがよかった。基盤の表面に張り付いたたくさんの部品を触るような感触が視覚で感じられた。
東京スカイツリーから地上を見おろした時に建物の凹凸が視覚に訴えかける凸凹としたような感覚があった。この感覚が密集した電子部品を見ているときと同じような感覚だったな。
そんな事もあって、小さいころはやたらと壊れた家電を分解して、中身の部品を集めていた。電子部品コレクターだ。昔使っていたおもちゃ箱みたいなところから、その当時に自分で考えたラジオの回路図みたいなものまで出てきたから幼稚園児ながら何気に凄いな俺、と思った。
林みたいなところに不法投棄されてたテレビから基盤を抜き取って家に持ち帰っていた思い出もあるなぁ。捨てられていたテレビを見つけた時にいったん家まで帰って、ナイフとドライバーを持ってきて秒速で解体して持ち去るという本格っぷり。
なぜだか大量に電子部品が集まっているのを見ていると気持ちが良いというか、面白い気分になる。
電解コンデンサが大量だ。
これを見ていると秋葉原の電子部品売っているお店を思い出すなぁ。
トランジスタやインダクタ、抵抗、セラミックコンデンサ、その他色々と。この写真には一部買ったものも混じっているかもしれないがほぼ9割家の壊れた家電とかから抜き取ったやつだ。
最近でも、家電とかが壊れた時は中身の部品だけ抜き取ってから処分しているから何か壊れるたびにコレクションが増えそうだ。
これだけ部品あったら何かしら電子工作できそうだな。コンデンサの容量とかうまく求めている物があれば何か作ることができるな。残念ながら俺は自分で回路を設計できるほどの能力は持っていない。
本とかサイトとかで調べながら作る事はできる。
ダイオードとセラミックコンデンサをつなげてコッククロフトウォルトン回路を組んでカメラの昇圧回路につないで放電するやつとか、FMのワイヤレスマイク的なものとかを作った記憶があるな。
「魔法」というものがあるが、今の時代、「魔法」って別に特別な感じがしない気がする。
こういう電子部品が小型化して、たくさん集まることによって超LSI とかになって人間が一生かかっても終わらない計算ができたり、スマートフォンで遠くの人と通信したり、赤外線カメラで暗いところでもものがみえたりするわけだからある意味今の時代は魔法みたいなことが普通に存在している。
電子部品を構成しているのもスマホとかカメラとかももともとは地面に埋まっていた鉱物とか化石(石油)だから、簡単に考えれば「地面から掘り出した石に映像を移したり遠くの人にメッセージを送ったりする」なんてファンタスティックなことが日常的に起こっているわけだ。
そう考えると、「魔法」という言葉に非現実感を感じなくなるし、非科学的に感じることもない。ドラクエとかハリーポッターみたいに手から炎が出てくるようなことは無くても、この世界には「科学」という魔法がある。
そんな魔法みたいなテクノロジーを支えている電子部品を眺めていると何か感慨深い。
人間は地面から掘り起こした石からもう一つの現実を作り出してしまうようなぶっ飛んだ発想の脳みそを持っているわけだから。(ゲーム機とゲームソフトの事を言っている)
収集癖の話から魔法とか技術の発展とか話がすこしそれてきたところで止めておくか。
という事で、俺は軽く電子部品コレクターという事だ。誰か特にこれといった目的もなく、電子部品たくさん集めてるやつはおらんかね。