移動式のブログ

ガジェット、アニメ、プログラミング、考えたことその他色々・・・特にこれといったテーマはないカオスなブログです。

移動式

移動式という名前をつけた理由を後付けしてみた

場所や時間に縛られずに好きなように移動できるという生物本来の性質を取り戻したい。
自分にはそんな願望があるのではないかと思って「移動式」というハンドルネームを思いついた。
以前は「移動式生ごみ」というすこし汚そうなハンドルネームだったが。


人間は本来、どこにでも移動できる。

例えば日本からブラジルだろうが南極だろうが、物理的に行くことは可能だ。現代には飛行機があるし、昔でも船に乗れば行くことはできる。
そして、ロケットに乗ることができれば、宇宙に行くことだってできる。この世界はとてつもなく広い。時々自分の置かれている世界を意識してみると、思う以上にわくわくしてくる、夢や希望にあふれた世界(場所によっては地獄みたいな世界。紛争地帯で死ぬとか奴隷として生まれたときとか)なんだと思う。

大抵の人間は、狭い世界に生きていると思う。自分自身も死ぬほど狭い世界に生きているし、自分の住んでいる県にに隣接している都道府県でさえ行ったことがない場所がある。


別に誰から「行くな」と禁止されているわけでもない。そして、「法律で遠くに移動してはいけない」と決められているわけでもない。
それなのに、この「地球」というフィールドをまだ1%以下しか味わっていないなんてもったいない気がする。


同じ場所にずっと住み続けて死ぬ場合、ドラクエ8トラペッタの街(最初に主人公が行く町)を延々と散歩しているのと同じようなことだとさえ感じる。せっかく買ったゲームなのに、最初のステージしかプレイしないなんてもったいないし飽きてしまう。3000円で買ったゲームソフトに込められた3000のうちの2999円分ぐらいの「夢」捨てているんじゃないかと感じる。
実際に、現実世界はドラクエ8よりも広い。ドラクエ8のサヴエッラ大聖堂を見たことがある人はドイツのケルンにあるケルン大聖堂やフランスのアミアン大聖堂のような建物をみて、軽くデジャヴを感じると思う。実際のゴシック様式の教会からデザインのヒントを得たのだろうと思う。ゲームも馬鹿にできないね。

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↑東京の上野を散歩

生きていて、なんだかだるくなってきたり、精神的に疲れたりと、リフレッシュしたくなったら、何も考えずに適当に遠い場所に旅にでも行って、何か月もその周辺でふらふらしていたい衝動に駆られる。
最近、衝動的に無計画に東京の上野まで電車で行って、その周辺をぶらぶらしていたらなんとも爽快な気分で、精神的に楽になるような気分になったし、未開拓の土地に冒険に出かけるようなとてつもないわくわく感で心が満たされた。気分に任せて適当なところに大移動することの楽しさを再認識できた。

そのうち地球上を放浪したいなぁ・・・



学校と家を往復したり、バイト先、職場を往復するだけの延々と同じ動きを繰り返す産業用ロボットみたいな日常を送っていると、精神が煮詰まってきて、なにか気持ちの悪いもやもやした感覚が全身にたまってくる。そのうえ決められたスケジュールに従ているうちに、何も考えなくなってきて、ものすごく怠惰な生活になってくる。
C言語でいうwhile(1){}(←C言語でこれやると無限ループ)の{}内に閉じ込められたような気分だ。

夏休みみたいな長期休暇中は、なにも自分をしばる予定がない。例えば、宿題を初日付近で全部片付けてしまうので、余計なノイズもない。そして、寝転がってだらだらしているうちに、体と頭がさえてきて、自分の脳みそで日々の計画が次から次へと思いついていく。
教科書のずっと先の部分まで予習したり、出かけたり、体を鍛えたりと、かなりアクティブな生活になってくる。一日何十キロも自転車をこいで、ブックオフの100円コーナーの本をむさぼった良い思い出がある(図書館だと遠くまで返しに行く必要のでめんどくさいから、自分の本を家でゆっくり読みたい)。

その後、筋肉痛がひどくて少しの間動く気にならなかった。まさに「移動式」というアクティブな状況だ。体質的に病気なんじゃないかと心配になるほど疲れやすいからだらだらする時間もあるのだけれども。
しかし、夏休みが終わって時間がたつごとにその気力が右肩下がり。


人生には所々break;が必要だということだ。
while(1){}から抜け出さないと脳みそがオーバーヒートして焼け焦げる。
だからループを抜け出して、時々クールダウンする必要があるのだろう。


そもそも人間は、ずっと昔、赤道付近を目指して長い距離を移動したりとか、大陸の端から端まで移動してたわけだ。
俺には人類大移動とかアメリカのフロンティア時代のときの入植者たちのような冒険者的感覚が本能に染みついているのかもしれない。


俺は普段、「不動式」だ。精神的なキャパシタンスを消耗しきらないようにうまく省エネな活動を心掛けて、人並みに日常生活を送ることが出来る。
俺はこれといった縛りのない自由な環境にポーンと放り出されると、最初は電源OFFになるが、体力・精神力が回復すると、脳内で普段封印されている「移動式」が目覚めるのかもしれない。


封印されていた時の鬱憤を晴らすかのように消耗しきったエネルギーを吐き出して、「俺」に考える力や動く気力を与えてくるのだ。そして、長期休暇が終わると日を追うごとに決まりきった怠惰な時間の流れに飲み込まれて「不動式」へと変化してしまうのだろう。

ハンドルネームが移動式生ごみだった時がちょうどおれの「不動式」モードだったようだな。

これからも休むときは休み、学校(または会社)で勉強するとき(働くとき)はすると、メリハリをつけていきたいものだ。
だらだらと、頑張りすぎたりさぼりすぎたりしないように心掛けないとずっと何もやる気ないモードになってしまいそうだ。

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