移動式のブログ

ガジェット、アニメ、プログラミング、考えたことその他色々・・・特にこれといったテーマはないカオスなブログです。

無気力が続く

無気力体験とその考察


無気力に取りつかれて何もやる気が出なくて困っている人間はおらんかね。


現在結構改善しているが、無気力状態になって結構時間がたってしまった。

憂鬱で無気力な感じがずっと続くし、ネガティブな思考が脳内を無意識のうちに駆け巡る。
うつ病なわけでもなく、死にたいわけでもない。だけど、全身が無気力でみなぎっていた。


宿題やったらだるくなった


心当たりからして、無気力のトリガーは「夏休みの宿題」だろう。
無気力になった当時、俺は高校生だったというのにとにかく机に向かって勉強する気が起きなかった。
本を読むことやパソコンをいじる事は普通にできたのに。

俺は宿題を休みの最初のほうにすべて終わらせるタイプだ。その後は、自分の解らないところの予習復習や遊ぶことに時間を充てる。しかし、その時の夏休みはそうはならなかった。いつも通り、宿題をすべて終わらせてもう自由だ―!という感じになっていた。そして、自分の勉強プランや、遊ぶことを考えていた。


しかし夏休みになって数週間後、登校日があるので、登校日に学校に行ったときに

ズドン!

目の前には大量の宿題だ。
しかもテキストの内容をうつして来いという無駄に手がつかれるだけの内容。




夏休み前に出してくれれば最速で終わらせるようにできたというのに。ソフトの納期間近になってソフトの仕様変更を宣告されてデスマーチと休日出勤の地獄に突き落とされるブラック企業に入ってしまったエンジニアみたいな気分だった。

油断していた隙に、自分の心臓をピンポイントで貫かれたようなものだ。
ちょうど張り詰めた精神が緩んだタイミングで、精神的にものすごいダメージをうけた。
例えるならば、水の中に潜って苦しくなり、意識を失いそうになったから顔を水から出した。
しかし、自分の顔めがけて大量の水が飛んできて呼吸できなくて死にかけるといったところだ。




この時を境に、俺の生活が少しづつ堕落していくことになる。
その宿題のせいで、自分が計画していた勉強もできなかった上に、宿題が終わらないかもしれない恐怖感に四六時中取りつかれて休みが楽しめなかった。


俺はやるときは真面目にやって、休む時は休む、楽しむ、といったメリハリのある行動をするタイプだ。なので、宿題というものは夏休みの初週には終わっている状態でなければ気持ちが悪い上に、休むことに全力を注ぐことができない。


そもそも、夏「休み」なんだから、宿題自体がなくてもいいんじゃないかと思うことが時々あった。学校で勉強をしているのだから、夏休みは普段できないような体験をしたり、遊んだり、勉強といったん離れて脳みそをクールダウンするためのものだと思う。

しかし、その休みの期間に宿題を出すというのなら「休み」である必要がないのではないか。「夏季自宅学習期間」といったほうが適切だと思う。




追加の宿題を終えたとき、夏休みは残り一週間ほどになっていた。この夏休みは本当に休んだ気がしない。

もうあまりにもだるくて、疲労がたまっていたものだから、残りの一週間ぐらいは何も考えずに自転車で遠く離れた本屋さんとかに行ってふらふらとしていた。そしてラノベとか漫画とかをブックオフで適当に買いあさって読んでいたら休みが終わっていた。

夏休みが終わっても、授業中に集中できなくて居眠りすることや絵をかいていてまともに授業を受けないことが多くなった。
家に帰ってからも、勉強をほぼ一切せずに、深夜の3時ぐらいまでお絵かきをしてて不健康的な生活習慣になった。


おかげで成績も右肩下がり。学年ほぼトップから、ズドンと下がっていき、赤点とるようになった。勉強もろくにせずに日付が変わった深夜3時ぐらいまで絵を描いていたり引きこもりみたいに一日中死体みたいに転がっていたことが響いたのだろう。
このざまだから、大学の試験にも落ちた。
ちょうどそのころは、勉強どころの話ではない。四六時中熱が出ているみたいにだるいし頭もボーっとしてまともに働かない。

精神的不調の辛さは傍から見たら、本人の甘えだとか、単にふざけているようにしか見えないかもしれないが、実際になってみたら「こんなにきつい事なのか」と実感する。




勉強する気も起きないし、動きたくないし、将来働きたくないという気持ちさえわいてきて、危機感を常に持っていた。しかし、体が重くて動くのが辛い上に頭もさえなくて、常に思考がぼんやりとしていて、判断力や思考力が鈍っている。どうにかしたいのにどうにもできない状態だ。まるでのび太の体に乗り移ったかのような気分だった。

ガソリン切れの車に乗っているような状況だ。動きたいのに動けない。ガソリンスタンドもない。自分でガソリンを作ることもできないし、家に帰ることができないようなやばい状況にたとえられる。
たとえ十分に眠ったとしても常に寝不足のときの寝起きみたいにだるいし集中力が全く続かない。


無気力をなくしたいのに、何やってもこの体の底からあふれ出てくる無気力はなくならない。全身がやる気のなさで満ちている状態で、だるさに脳みそを支配されているような気分だった。勉強しようにも、机に向かっただけで気持ち悪くなって、頭が痛くなって、受験勉強もまともにできない。なんとしてでも勉強しようとするが頭に全く入ってこない。単に本を読むことは楽しめたから、英語の勉強を兼ねて、英語で書かれた本を解読して遊ぶという工夫もした。


さらに精神的に少し病んでいたのか、好きな子に怪文書じみたものを送ってしまったり、自分をニート予備軍、ダメ人間と自分をネタにして語りまくって友達に「そこまで言わなくても・・・」と心配そうに言われたりと。


今でも無気力状態は完全にぬぐい切れてないなぁ。まだだるさが体に残っている。もしかしたら一生このだるさと付き合っていくことになるかも。

何もやる気がしない状態が続いたら、ホームレスにでもなってしまうのではないかという不安に苛まれるなぁ。
俺のような人間は社会不適合者なのだろう。


仲の良い、一緒にいて楽しい、助け合える、そんな友達は普通にいるが、「自分に近い人間レベル」のダメ人間を俺はいまだかつて見たことがない。
時々自分自身が、周りの人間と同じ「人間」という生物なのかどうか疑わしくなることがある。

しかし、自分自身の精神的な性質を知ることが出来たのは良いことだ。


脳の最適化と無気力

恐らく、脳内で宿題によって「無気力の原因となった苦痛」と「勉強」が関連付けられてしまって、無意識のうちに脳みそが拒絶反応を起こしているのだろう。
この状態は、自分の無意識の領域で起こっていたものだと思われるので、そう簡単にどうにかできるようなものではなかったのだろう。脳みそが勝手に反応するのだから。
そのため、ペンを持つことに変わりないのに絵を描くことは楽しかったし、文字を見ることに変わりはないのに本は読めた。なぜなら読書や絵描きは「苦痛」と関連付けられていないからだ。
「テスト」や「受験」のためにやる学校の勉強が苦痛と関連付けられているに過ぎないので、「自主的に興味関心を示して行う」勉強に対する意欲はあった。そのため、「読書」はできたのかもしれない。

例えば、さっき挙げたように「英語」を「テストや受験勉強」のために行うのは「苦痛」と関連付けられているが、「なんて書いてあるのかわからない暗号を解読する遊び」として英語の本を解読していくのは楽しいということだ。もちろん「教科書や参考書」は「テストや受験勉強」に関連付けられているので、読んでいても微妙だったが。


また、「無気力」は

「苦労して大量の宿題をこなしたものの、全然頭に入らなかった。しかし、自分自身で自主的に勉強したときは、その宿題よりもはるかに少ない勉強量で記憶に焼き付けることができた。よって、やみくもに量だけこなして努力することは無駄であり、適切な手順でやれば努力しなくても適当にやっても結果は出せる。つまり、努力や頑張りは無意味である。」

と脳みそが判断してしまったからだと思われる。

そのため、脳みそが心身の消費エネルギーを節約してエネルギー効率を高めるために「努力」を「エネルギーの消耗が激しく、無駄な機能」と判断してしまい、その機能を停止させたのだと思う。

つまり、脳の働きが脳に都合が良いように最適化されたということだ。
俺の脳みそは性能が悪いのか、大きな負荷に耐えられないようだ。

脳は、脳にかかる負担が軽くなるように自動的に環境に適応してしまうのだろう。

しかし、「努力」は決して無駄なことでは無い。「方向性の正しい努力」は良い結果を残すものだ。

このことから、「無気力」を改善する手っ取り早い方法は「面白いと思うことをひたすらやって成功体験を積み重ねる」ことである。
そうすることによって、「何かの目標のために集中して取り組むと良いことが起こる」と考えるようになり少しづつ努力をする感覚を取り戻していけるようになる。

または、無人島に行って三年間ぐらいサバイバル生活をするような常に死と隣り合わせな環境に身をおけば、無気力などなくなる。
しかし、この方法で死んでしまっては元も子もないので相当意識の高い人にしかお勧めできない。