移動式のブログ

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コミュニケーション能力について

コミュニケーション能力

コミュニケーション能力という言葉を聞いて脳内に適当に思い浮かべたことを並べてみるか。


まず、相手に高いコミュニケーション能力を求める人間はコミュニケーション能力が低い。
コミュ力が高いのなら、コミュ力の低い相手にも会わせられる。しかし、コミュ力の高さを相手に求めるということは、自分自身がうまく意思疎通できないから相手のコミュ力に依存せざるをえないんじゃないだろうか。
相手のコミュ力が低く感じる理由は、自分の伝える能力が低くて相手が理解できない。そして、自分の聞く能力が低くて相手の話を理解できないのだろう。
ということで、接している相手にコミュニケーション能力が無いなと感じたら、それは自分自身のコミュニケーション能力が低いという可能性がある。

コミュ力が高いということは、意思疎通、意思伝達する能力が高いから、相手が馬鹿にでも天才にでも通じる会話をすることが出来る。
逆に、コミュ力の高い相手としかコミュニケーションをとれないという人の場合は、特定の人間としか意思伝達ができないということになるので、コミュ力が低いということだ。


ときどき、企業が人材を採用するときにコミュニケーション能力を重視するみたいなことをネットとかで見かける。そういう会社って、コミュ力の高い人材しか扱えないダメな会社なのかな~って思ってしまう。役割の分担だとか、個人の適性とかを考えて、うまく人材を配分できるシステムがあるならどんな奴でも仕事はこなせると思う。
そもそもコミュ力が高ければ、ダメな奴にもわかるように仕事を教えることが出来るので、コミュ力高い人材を求めている企業は、人格的に破綻している人間が多いのでは?



あと、コミュニケーション能力と言われて、「会話する能力」みたいな漠然としたイメージがある気がするけど、普通に話す能力が低いのと、「コミュニケーション能力が低い」というのは別物だと思う。
話す」のは、コミュニケーション手段の一部に過ぎない。
「話す」能力がコミュ力だとしたら、の話したなにかのけがや病気で喋れなくなった人はみんなコミュニケーション能力がないのだろうか?自分でしゃべることができないからコミュ力が無いと言うのだろうか。喋れないが、筆談するとか、手話を使うとか、色々と意思疎通はできるじゃないか。

コミュニケーションとは、「話す」事に限らず、意思疎通である。話すことが出来なくても、わかりやすい文章や、感動する小説などを描くことが出来れば、それはそれで「コミュニケーション能力が高い」といえる。自分の考えていることをうまく表現できているからだ。

例えば、コーラが飲みたいなと思ったときに、口で言っても、紙で「コーラ飲みたい」と書いて相手に見せても、それを相手が理解できて、相手がコーラを持ってくることが出来れば意思の疎通ができたことになり、コミュニケーションが成立する。

文章書くのがうまいだけでなく、読解能力が高い、絵がうまい、聞き上手とかもコミュニケーション能力が高いといえるんじゃないかな。
俺はどの能力も中途半端だから困ったなぁ。

かなり無口だが、コミュ力の高い奴がいたな。
Sという人がいた。その人は基本的に無口で、無表情で、人と話しているよりも本見てたり、ゲームやって引きこもっていたほうが楽しいというような人だ。そして、基本的に一人でいる。
それだけ聞けば、コミュ力低そうに感じるかもしれない。しかし、彼は「聞き上手」なのだ。俺の適当に考えたつまらないストーリーを延々と聞き続けることが出来る。大抵の人は、時間の無駄に感じて話をそらそうとするのだが、彼は、よく聞いてくれるのだ。時々秀逸な返しをしてきたリ、面白いアドバイスを挟んできたりと、聞く能力が優れている。そして、それを理解して、行動する能力にも優れている。相手の言ったことを理解して、その通りに動くことができるというのも、コミュニケーション能力が優れていると言える。自分の伝えたい事が相手に伝わって初めて「コミュニケーションが成立した」といえるわけだから。
Sは、基本無口でも、話せばすごく適切な応答をしてくれるし、完全に受動的な人間というわけでもなく、自発的に面白い事をするようなときもたまにある。

俺はSより比較的よく話すが、くだらないことをべらべらと他人に浴びせているだけの俺と比べればSはコミュニケーション能力がはるかに高い。俺は雑音を発生させる能力が高いだけだ。
今頃、Sは元気にしてるかな。時々ラインでふざけてスタンプとか送りあってるけど最近返信こないな。仕事で忙しいだろうからそっとしておくか。