有能が無能を作り、無能が有能を作る
無能であることは悪いことなのだろうか?
たとえどんなに無能でも、その本人に罪はないだろう。人間の能力には個人差があるし、適正にも個人差がある。
しかし、仮に、全人類が超ハイスペックな人間ばかりになったらどうなるだろうか。
例えば「地球人みんなアインシュタイン並みの天才」とか、「ウサイン・ボルトより足が遅い人はダメなやつで運動音痴」とかとんでもないことになる。
しかし、地球上の人間がみんなのび太レベルの運動神経だったら、努力して速く走るトレーニングをした人は必ず報われる(世界一足が速い人になれる)世界になる。
無能な人間がいるおかげで、才能のある人や努力した人が相対的に優れて見えてるというわけだ。
つまり、無能な人間無しで天才や努力家といった類の人間は存在できないということだ。
そのため、無能な人間を馬鹿にする人間は遠回しに自分の首を絞めていることになるんじゃないだろうか。
仮に、その無能な人間を馬鹿にしている人以外のこの世の人間が全員最強で天才になったら、その人は人類のレベルについていけなくなって痛い目を見ることになる。全人類からなめられるような存在になる。
誰かに、失敗を責められたり、無能呼ばわりされたりしたら、「俺みたいなダメな奴がいるおかげでお前の相対的な価値が高いんだ。感謝しろ」とでも思えばいい。
誰もが不得意を持ち合わせているし、だれもがみんな同じ性質ではない。
「自分はなんてダメな人間なんだろう」と思ってしまったら、そのまま「自分は価値のない人間だ」とか「生きていても意味がない」「社会のゴミだ」とかどんどんネガティブな感情に飲み込まれて行って鬱みたいな状態になりそうだ。
実際に、俺はネガティブ思考に飲み込まれて超憂鬱な気分でさらに自虐的な事ばかり言うようになる時期が時々ある。
人によってはさらにその状態がひどくなって鬱になったり死にたくなったりする可能性もあるんだろう。
人間なんて道具みたいに明確な理由をもって生まれてくるわけじゃないから役に立たなくても社会のゴミでも良い。
例えば、はさみは「紙を切る」という明確な目標をもって生み出されたので、物を切ることが出来ないはさみはゴミとして捨てられる。
しかし人間は目的は無く生み出されるし、「役に立たない」と判断できる絶対的な基準は無い。
例えば、「人間は科学技術や文化を発展させなければならない」なんて決まりは地球にも宇宙にも書かれていないし、人間が自己満足で勝手にやっているだけのことだ。人類の文明の進歩に貢献していないからと言って、「役に立たない」ことは無い。
人間に生きている意味なんてないのだから自分で好きなように生きていればいい。
そう考えると人間は、何か優れた点があろうと、何も長所がない人間だろうと大して関係ない。
人間である以上、大抵百年以内で死ぬんだから、他人と比べて一喜一憂している暇があるぐらいなら、短い人生を楽しむために時間を注いだほうが良い。
人間なんて法律を破らない範囲内で自分勝手に好きな事ばかりしていれば良い。