イスラームシーア派について
シーア派について メモ
シーア派
シーアはムハンマド没後の後継者争いをきっかけにできたようだ。
西暦632年にムハンマドが亡くなったときに、イスラームの信者たちが誰をカリフにするかをめぐって二派に分裂した。
歴史上では、アブー・バクルが初代カリフとなった。これに賛成の人たちが、後のスンナ派となったようだ。
スンナ派はシーア派よりも人数が多く、ムスリムの主流派ということになっている。
現代では、シーア派はイスラーム全体では少数派であるが、イランでは多数派であり約8割がシーア派のようだ。
イラン、イラク、バハレーンは人口に占めるシーア派の割合が多い。
それに対して、カリフはムハンマドの従弟のアリーじゃないとダメだと言う人たちがいて、「アリーの党派」と呼ばれた。
「党派」はアラビア語で「シーア」と言う。
アリーがカリフであると主張している人たちを「アリーのシーア」と言い、「アリー」を省略して「シーア」と呼ぶようになって、「シーア派」という呼び方をされるようになった。
簡単に言うと、ムハンマドの後継者をムハンマドのいとこであるアリーとその子孫がふさわしいと考えるのが「シーア派」ということだ。