移動式のブログ

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ニートについて

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ニートでいることは決して悪ではないと思う。

人間は役に立たなくても生きていて良いと思う

役に立たない人間を排除することはナチスドイツの思想と同じなので、ニートは悪くないと言える。
むしろ、ダメな人間や働かない人間がいない社会は危険である。



無職と言われれば、世間一般的には無価値な人間であると思われるだろう。
それも納得できる。

なぜなら、労働によって国に対して所得税を払っていない上に親のお金を奪っているからだ。


しかし、ニートが無価値であるとか働かないことが悪であるとかいう考え方の人は、遠回しに自分自身を無価値と言っているのと同じなのではないか。

働かないことが悪と言う考え方は、言い方を変えれば、「仕事をしているから自分は生きているのが許されているのであって、働かなくなった自分は悪い人間だから生きている意味が無い」とも言い換えられるだろう。


働かないことは悪という考えは、人間そのものを軽視しすぎている。
役に立たなくても、ただ、生きているだけでも良い。


ただ、生きているだけであることが許されないなんて人間は不幸すぎるだろう。

人間は役に立つべきで、働くことが正義であるとすれば、その人から「仕事」と言うものを取っ払ってしまったら、悪になるということだ。


「労働」は愛されているのに「人間」が軽視されているのである。

過労死する人間がいるのも、「人間」が愛されていないのに「労働」という行為が愛されているからだ。


人間がメインで労働はおまけみたいなものとして考えるべき。
そもそも、人間は死ぬと働けない。


人間は役に立たなくても生きていて良い。そもそも人間はロボットではない。
ロボットとは違って完璧な人間はほぼいない。
誰もがみんな同じ考え方していて同じ能力をもつわけではないので、働かない人間がいても自然な事だと思う。





働かないことが悪であるのなら障害や病気で働けない人も悪というとらえ方もできる。
これは、ナチスドイツが行ったホロコーストと同じ考えであるので危険だ。


ナチスユダヤ人を大量虐殺したことで有名だ。
しかし、ユダヤ人だけではなく、身体障害者などのようにまともに働くことのできない人間も殺していたようだ。

1939年10月
ヒトラーが障害者の殺害を許可
アドルフ・ヒトラーは「安楽死」プログラム(ナチスによって「生きる価値なし」と判断されたドイツ人の組織的殺害)の開始を承認します。この命令は、戦争が始まった1939年9月1日に遡ります。当初は、病院の医師や職員は患者を放置するよう促されました。すると、患者は飢餓や疫病で亡くなります。その後は、「コンサルタント」たちが病院を訪れ、誰が死ぬかを決めます。それらの患者は大ドイツのさまざまな「安楽死絶滅収容所に送られ、薬物注射かガス室で殺害されます。

https://www.ushmm.org/outreach/ja/article.php?ModuleId=10007683より引用


国家などは、弱い存在である個人が集まることによって、助け合うことに意義がある。
全体のために個人が犠牲になるような社会に存在意義はない。
弱い人間は個人では生きていけないので社会の助けが必要であるが、その社会のために個人が犠牲になっては本末転倒ではないか。


自分は、ニートは健全な社会の象徴であると思っている。
もし、日本が独裁国家で、上記の「障害者やユダヤ人の大量虐殺」と同じように「国家に貢献しない人間は死刑」みたいなことを言い出したら、ニートは存在できない。


ニートが存在しているということは、働かなくても許されているつまり、個人の自由が尊重されているということである。
そのため、様々な考え方や生き方が許されるので生きやすい社会だと思うし、国民の自由が保障されているので健全な国家だと思う。
そして、国が豊かで平和であるからニートが生存できる余裕があるということだ。


もし、働かない人間が日本から一人もいなくなったら、それこそ日本は危険な状態だと思う。
国民全員働かないと国が成り立たなくなったり、独裁国家になって、国民全員強制労働になったら大変である。
「働かない」という選択の自由が与えられていないということになるからだ。

つまり、ニートは平和の象徴だ。


ニート憲法に違反していない

ニート憲法違反であるという考えもある。なぜなら、憲法に「勤労の義務」というものがあるからだ。

27条
1.すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

日本国憲法より引用


しかし、ニート憲法に違反していない。
なぜなら、日本の一般的な国民は法律違反はできるが憲法違反はできないからである。


憲法は「国家」に課せられた法であって、一般国民に対する法ではない。
つまり、憲法に違反するのは政治家などの国家であり、国民ではないのである。
国民は法律を守るのであって、憲法を守るわけではない。


法律は憲法をもとにして作られているので、国民は法律を守れば良いのである。
そして、法律に働かなければ罪に問われるとは書かれていないので、働かなくても法的に問題は無いと言える。

99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

日本国憲法より引用

憲法自体にもかかれているが、憲法を守る義務に国民は含まれていないので、国民は憲法違反ができないということだ。
憲法ベースに作られている法律を守ることが国民にとっての義務であると言えるし、法律を守ることが国民にとって憲法を守る事と同義ととらえても良い。

参考記事はこちら
dennou-kurage.hatenablog.com




法律に、働く能力がある上に住む場所が無い人間は軽犯罪法違反になるものがあるようだ。

matome.naver.jp

しかし、住む場所があったり、何かしらの収入があれば罪には問われないと思われる。


つまり、ニート憲法違反なのではない。

「労働能力を持つ無職でホームレスの人は軽犯罪法違反である」と言うことはできる。

納税はしている

また、ニートが批判される例のうち一つとして、
「税金を納めていないので納税の義務を怠っている」的な考えも存在するようだ。
しかし、ニートも税金は納めていると言える。
100パーセントサバイバル生活、例えば無人島に勝手に住んで自給自足生活でもやっているなら税金を納めていないだろう。
しかし、現代文明の中で生活している以上、物を買った時に「消費税」を払っているので税金は納めている。






ニート 明日は我が身

どんなにニートを批判している人間でも会社クビになればニートだ。
優秀でも、会社のトップが必要ないと判断すればクビになるし、平社員でも会社役員でも会社が倒産すればみんなニートだ。

また、障害や病気で働けない人もいるし、人間は誰でも病気や事故で働けなくなる可能性があるので、誰でもニートになり得る。


ニートであることに対して寛容な社会なるのが理想である。
人間そのものに生きている価値があるのであれば、働いていなくても何ら悪いことは無い。
ただ人間が生きていて、ここに存在している。そこに何一つ不自然な事は無いからだ。




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