移動式のブログ

ガジェット、アニメ、プログラミング、考えたことその他色々・・・特にこれといったテーマはないカオスなブログです。

遠くに行きたくなる

今年は、自転車で100km近く離れた東京まで行ったりとか、電車で京都に行ったりとかした。

おそらく、住んでいる場所から物理的に離れるということが一種のリラックス効果をもたらしているのかもしれない。

自分が日常的に見ている場所の景色を見ていると、嫌なことや不安なことをその景色から連想してしまうからだ。

例えば、学生の時は、学校の通学路だとかを通っていると、学校に行く時のだるい気分が発生してしまう。
大人になってからは、会社の通勤経路を通っていると、労働に行く時のだるい気分が発生してしまう。

クソだるい気分で眺めていた景色とクソだるい精神がセットになっているのだろう。



もう一つの理由として、大抵の人間の日常は閉鎖的な環境に閉じ込められているからだろう。

ほとんどの人間は、子供の頃は学校、大人になったら会社という場所に閉じ込められる。

毎日のように同じ道を行ったり来たりして、ほぼ一日中同じ部屋で座って退屈な時間を過ごしていると脳みそが麻痺してくる。

いや、同じような時間を繰り返すだけなら全然構わない。
苦痛である理由は、自分のその日の気分や体調に関係なく、決まった場所に行かねばならない、そしてやる気がない時も、何かをやらされなければならないからだろう。
人間なのにプログラムされた通りに振る舞うソフトウェアのような生活を強いられることに気持ち悪さを感じるのだろう。


このforまたはwhile文の無限ループに突入したような状態は、難しい本を一日中読むことの1000倍ぐらい脳みそが疲れるし、
40kmほどの距離を休憩なしで走った後以上に体がぐったりとして、自分の元気が根元から削ぎ落とされるようだ。

そして、自分は常に透明な首輪をつけていて、特定の場所と行動に鎖で繋がれて自由を奪われている気分だ。
死んでいるのと同じだ。むしろ死んでいた方が嫌なことも存在していないだけマシだと思うこともある。


しかし、遠い場所に行けば、「自分は物理的に自由である」ということや、世界は広くて、いろいろな場所が存在している事が再認識できるので、ホッとする。
そして、特定の領域に閉じ込められた状態から解き放たれる感じがして、気分が爽快になる。



他の理由として、帰るにしてもものすごく時間がかかるので、やるべきことややらなければいけないことなどを心配しても無駄である。
そのため、余計な不安で頭をかかえる必要がなくなって、現実に戻る(帰る)まで脳みそをリラックス状態にできるのだろう。


住んでいる場所から近いところではおそらくここまでリラックスはできない。

すぐに帰ることができるので何かやるべきことが発生してしまったら「帰る」という選択肢が生まれてしまう。

そういうことを考えないようにするためには、学校や仕事など、義務付けられたような苦行があっても1日で帰れなそうなほどの遠い距離に行く必要があるのだろう。
そして、誰も追いかけてこないほど遠い必要があるのだろう。

そのようにして「今すぐ帰ってやるべきこと」をすぐにできないような状況に自分を追い込めば、帰るまでにとても長い時間が必要になるので、「今すぐ帰ってやらなければいけない」と焦る必要がなくなるのだろう。


こういう遠い場所に行く旅行は俺にとって、現実にとどまりながら現実逃避をする手段である。