右脳と左脳について
人間を真っ二つに切って、完全に右半身と左半身に分かれても生きていた場合、どうなるのか
人間の脳みそは、右脳と左脳に分かれていて、脳梁(のうりょう、corpus callosum)で左右が繋がれている。
この、脳梁を切って、右脳と左脳を分離したら、右脳、左脳、それぞれ異なる動きをすることがあるようだ。
例えば、右脳側と左脳側で、将来の夢がまったく違うとか、右手がものを掴もうとしているのに、左手がそれを邪魔してしまうだとか。
人間の体を真っ二つにして、左側をアメリカ、右側を日本というように、お互いを遠ざけたらどんな感じになるのだろうか。(もちろん、そんなことしたら死ぬし、心臓が二つあルわけでない限り、片方は生きていけないが、そういう制約はないという設定にした場合)
左右が完全に分離されているので、それぞれ別々の人間として行動するのだろうか。
体を切って、左右で分離することができた場合、どちらが「私」になるのだろうか。
例えば、「私」という人間は一人しかいないので、「私」という意識が、私という体を動かしている。
しかし、「私」の体が、右と左、完全に分離した場合、一つしかないはずの「私」という意識が、二つに別れることになってしまう。
その時に、「私」という意識が、右と左それぞれ「私1」「私2」というように独立した場合、「私」はどちらの「私」として意識を持つのだろうか。
それとも、一つの「私」が左右二つの私の肉体を同時にコントロールすることになるのだろうか。
例えば、片方が日本で、食事をしていて、片方はアメリカで散歩をするというような器用なことができるのだろうか。
または、右半身を操作するか、左半身を操作するか、切り替えて動くことになるのだろうか。
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機械の右脳と生身の左脳、機械の左脳と生身の右脳を接続した場合、何が起こるか
人間の脳みそとまったく同じ働きをする機械が発明されとする。
その機械の左脳と、人間の右脳、その機械の右脳と人間の左脳を接続すると何が起こるのだろうか。
例えば、日本にいる自分の右脳をフランスにある機械の左脳に、日本にいる自分の左脳をアメリカにある機械の右脳に接続したとする。
そして、それぞれの機械の脳にカメラがついていたとする。
その場合、日本にいる自分はどのように景色が見えるのか。
左半分の視野の日本の景色がアメリカの機械の脳で処理されていて、右半分の視野のアメリカの景色が、日本の左脳で処理される。
右半分の視野の日本の景色がフランスの機械脳で処理されていて、左半分の視野のフランスの景色が、日本の右脳で処理される。
さらに、機械の脳みその方で、機械の脳みその右脳と左脳を結合できた場合、自分はどのような世界を見ることになるのか。考えてみると面白い。
また、この実験の実験台になった人間が、機械の脳みそについたカメラの映像を認識することができた場合、「機械にも意識が宿る」ということになる。
機械にも意識が宿る場合、人間の精神をコンピューター上にアップロードして、半永久的に人間の人格が存在し続けることができるようになる。
以下の記事は、以前書いたコンピューターに人間の意識をアップロードすることについての記事です。
idoushiki.hatenablog.com