移動式のブログ

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インシャーアッラーという考え

إن شاء الله

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イスラーム圏にはインシャーアッラーという言葉がある。
少し前に、この言葉を知ったが、良い言葉だと思う。

この言葉は比較的汎用性の高いのだ。
意味は大雑把に言ってしまえば。「できたらやる」「いけたら行く」みたいな、曖昧な同意といった感じである。

使用例

「明日遊びに行ける」
「インシャーアッラー(行けたら行く)」
「この作業を終わらせておいてね」
「インシャーアッラー(できたらやっておく)」

みたいなイメージである。

人間は神の奴隷であるという考え方と他に対する寛容さ

イスラームでは、人間は皆、神の奴隷であり人間が行う行動は全て神が望んで発生したことである
みたいな考え方がある。
なので、相手が約束を破ったり、時間を守らなかったり失敗したとしても、
それは「神が望んだこと」なので悪いことではないし、許してあげて良いじゃないか
みたいな考え方があるのではないかと思う。

未来のことは人間にはわからない、神のみぞ知る

インシャーアッラーという言葉、「神がお望みなら」とか、上の画像のように「神は喜ぶ」とか「神のみぞ知る」みたいな訳になる。
つまり、未来のことは人間はわからない。
例えば友達と明日会うと約束したとしても明日事故に自分があってあの世に旅立つ可能性もあるし、未来に起こる
想定外の出来事は人間には予想できないし神しか知っていない。
しかし、その結果は神が望んで生み出した結果であるので、それを受け入れるのが良い。
といったイメージだ。


インシャーアッラーを日本語でいうと、
完全に保証はできないが、できたらやる。そして私はできるように努力をする。
しかし、未来のことはわからないので、できない可能性もあるし、できなくても仕方がない。
だからできなくても許してね。
といったイメージだろうか。



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