人生というギャンブル
人生はギャンブルみたいなものだろうと思う。
お金でやるギャンブルと違う点は、最初に一定の時間が与えられているところ。
まず生まれる前から勝負は始まっていて、生まれた場所や時代によっては戦争や飢えで死んだり奴隷にされたり虐待されたりする。
これはパチンコで当たらない台でやることになるとかポーカーなどで弱いカードばかり与えられることにたとえられる。
人生が満足いくものになるかどうかも運要素が強い。
どんなに気をつけていても事故や病気などで死ぬ時は死ぬ。
そしてどんなに努力してもそれが報われるわけではない。
運が悪ければ、どんなに金持ちだろうが強かろうが無一文になったり死んだりする可能性はある。
しかし、運要素だからといって諦めろというわけではなく、運を高めていこうという感じだ。
たとえ、0.1%の成功率のことでも、1000回やれば一回ぐらいは当たる。
もし、運が良ければすぐに当たるかもしれない。
どんなに幸運だろうと、不運だろうと、報われたいなら行動量を増やしてあたりを狙うしかない。
単に努力しろとか、苦労しろというわけではない。
無駄な努力は、設定が厳しくて当たらないパチンコ台で金を吸い取られ続けるのと同じようなものだ、時には逃げや諦めが必要だ。
無数に存在するパチンコ台の中から下手な鉄砲数撃って、これだと思ったやつにリソースを投入する。
ダメになったらまた別のところを探してみると言う感じでやっていくと着実に成功に近づいていく。
人生というパチスロ屋さんはお金ではなく時間でプレイするものなので、必勝法は行動量を増やすことぐらいだ。
必勝法とはいっても、運要素なので負けるときは負けるし、一生負け続けることがあってもおかしくはない。
しかし、時間を投入して、現実を見て、その時点でのベストな行動すればするほど得するので、人生は確実にましな方向には向かっていく。
時間はすでにまとめて与えられていて、減ることはあっても増えることはないので「使えば使うほどお得」になるということだ。
一日経つと消滅する1億円を持っていたとしたら、どんなに当たる確率が少ないパチンコ台でもとにかくプレイしまくったほうが特するだろう。
一日で消えるはずのお金のうちいくらかは自分の手元にずっと残ることになるわけだから。
人生は時間で買う宝くじとか時間で遊ぶパチンコなどと例えることができる
— 移動式 (@idoushiki) 2019年3月23日
時間はだれでも常に「今」最大限にもっている上に利用してもしなくても時間とともに減っていくので有効に使えば使うほど当たる確率は上がり、得をするので、そこが宝くじやパチンコなどと違うところだ。
— 移動式 (@idoushiki) 2019年3月23日
しかし、パチンコ台のように当たらない台は当たらないので、時には諦めなければ時間という金が無駄に消費されてしまうが、時間は生まれたときにすでに最大量が与えられているかつ、なにかしてもしなくても消費量はかわらないので、やはり行動あるのみという感じなのね。
— 移動式 (@idoushiki) 2019年2月20日
人生で重要なパラメータは運であるが、だからこそ行動すれば運が悪くても多少は運が良くなるし、運が良ければ、さらに良くできる。
— 移動式 (@idoushiki) 2019年3月23日
0.1%でも1000回やれば100%なのよ。
人生で重要なパラメータは運であるが、だからこそ行動すれば運が悪くても多少は運が良くなるし、運が良ければ、さらに良くできる。
— 移動式 (@idoushiki) 2019年3月23日
0.1%でも1000回やれば100%なのよ。