移動式のブログ

ガジェット、アニメ、プログラミング、考えたことその他色々・・・特にこれといったテーマはないカオスなブログです。

余命一日時代

明日死ぬのではという考えで生きていくことについて


最近、明日死ぬかもなという気分が強まってきている。
これは人生に絶望しているマイナスな意味ではない。
どんなに気をつけていても、明日運悪く事故で死んだり誰かに殺されたりする可能性はあるだろうから、行動しよう。
ここでやっておかねば確実に悔いを残しそうだから。という感じである。

老後について

人生100年時代とは言うが、100年生きる想定で生きていたらあっという間に死ぬわと感じるのである。
人間、やはり気をつけていても事故や病気などで死ぬことはあるし、長生きできたとしてもその頃には身体が老化して寝たきりかもしれない。
人間は機械みたいに壊れても簡単に修理して復活できないので、生き続ける可能性よりも死ぬ可能性の方が高い。
人生が80年とか100年もあるなんて思わない。


定年まで働き、やっと退職して老後の生活を始めるなんて人生はリスクが大きい。
人間、生きていれば病気や事故で死ぬことはあるし、ましては年をとれば癌などで苦しむ可能性も高い。
若い時間の楽しみを犠牲にして老後に備えた金が、
「癌の治療や体が動かなくて寝たきりの状態で苦しみながら死を待つ」ために消えていくなんてもったいないだろう。

若い頃は老後のために遊ぶのを控えてつまらない人生を送り、
いざとしをとったら寝たきりで、苦しいから早く死にたいのに延命されるために貯めたお金が消費されていく・・・
考えただけで恐ろしいだろう。
今まで苦労を重ねてきたのにその先に待っているのが、また苦労かという感じだ、救いがない。
また、老後のために金を貯めていたとして、その金を使わずに死んだら単に人生苦労しただけで終わりになることだろう。

どうせ80歳まで生きるのだからなんとなく働いて寝てりゃいいやなんて生きていたら、
気づいた時には、やりたかったことをやれずに悔いとともに死んでいるだろう。
老後が不安だというネガティブな感情に取り憑かれた状態で苦しみながら人生の大半を過ごしたくはない。


しかし、そういうことを気にせずに、やりたいことをやっていれば、
途中で貯金が尽きてホームレスになって餓死したとしても後悔はないだろう。
「やりたいことはやり尽くしたし良い人生だった」という感じになるだろう。
人間、単に長生きすることよりも、人生でやり残したことを作らないことの方が大切に感じる。
生まれてから死ぬまで牢屋の中で鎖で四肢が繋がれた状態で何もせずに100年生きていくのと、
50年で死ぬけど、自分が楽しいと思えることをやって、特に後悔もなく「良い人生だった」と思って死ぬのどちらが幸せだろうか。


未来は今の積み重ね

最近は人生について以下のように考えている。


老後を考えて人生プランを考えるのではなく、3年以内ぐらいのことだけを考えて行動するのがちょうど良い、今を生きれば老後の不安はない。
数十年先なんて、相当な天才じゃなければ誰も想像できない。考えても無駄である。
しかし、今から3年後どうなっていたいのかとか、3年の間は何ができるのかなら想像がつく。
さすがに余命一日だと大げさなので、
だいたい余命3年ぐらいだと思って生きていたほうが後悔なく生きられるだろう。
今を楽しんでおけば、明日死ぬことになったとしても、後悔なくあの世に行ける。
また、楽しい経験、有意義な体験は減ることも盗まれることもない一生ものの資産になる。

人間、未来のことはどうにもできなくても「今」は行動次第でどうにでも良くできる。
例えば、今の自分が30年後の自分に会いに行って飯を食わせることはできない。
しかし、今腹が減っているなら今すぐ飯を食うという行動を起こせるし、その結果、飢えで死ぬという問題を解決できる。
未来を考えても何も始まらないが、「今」はどうにだって良くできるのだ。
今死ねばそれ以降の未来はないが、今死ななければ未来はあるし、常に、「今生き続ける」という選択をすれば、ずっと生き続ける。
「今」の積み重ねが未来を作っている。