移動式のブログ

ガジェット、アニメ、プログラミング、考えたことその他色々・・・特にこれといったテーマはないカオスなブログです。

他人は自分だったかもしれない存在
他人と自分は違う人間だ。そして、自分も「自分」であって、自分以外の「誰か」ではない。

人類が存在する前は、誰に生まれているかが確定していない。
つまり、自分が自分として生まれてこないで、今の自分じゃない自分として生まれてくる可能性もあった。
自分が今、目の前にいるそいつや、あいつなどとして生まれてくる可能性も存在していたということだ。

他人を幸福にすることは自分を幸福にすることで、自分を幸福にすることは他人を幸福にすることにつながる。
幸福な人間が増えれば増えるほど、自分が生まれてくる前の時に、自分が幸福な人間として生まれてくる確率が高いことになる。
いや、すでに自分は生まれていて、自分は自分であるから他人がどうなろうと自分に影響は無いと思うかもしれない。
しかし、他人はもしかしたらの自分でもある。そして自分も、もしかしたらの他人であるし、
今はもうすでに自分は自分という人間という存在として確定している。

しかし、この世界が誕生する以前は皆、誰が何に生まれているか確定しておらず、
全てのものや生き物として生まれてくる可能性が同時に存在していたことになる(量子力学的な考え)。
そう考えると、自分は自分以外の誰かでもあり、誰かは自分であるかもしれないのだ。