ホールブレインエミュレーションと意識
ホールブレインエミュレーション(whole brain emulation)と意識
ホールブレインエミュレーションが実現したら、自分の意識をコンピュータ内にアップロードできる。
その場合、コンピュータ上の自分は自分であるという意識を持てるのだろうか。
ホールブレインエミュレーションとは、人間の脳みそをマシン上で再現することだ。それができると、精神をコンピュータ上にアップロードすることができる。脳みそをリバースエンジニアリングして、人間の脳と同じ働きをするハードウェアとソフトウェアを作ることが出来れば、人間の精神をその中に移動させることができる。
もし、自分の意識をコンピュータに移植したとしたら、自分の生身の体の脳みそはどうなるのだろうか。生身の脳みそ内の記憶が消えないとしたら、自分の意識がコンピュータ内で目覚めて、さらに、生身の自分のほうも、今まで通り自分の意志で動くはずだ。
生身の自分も、デジタルの自分も、自分であるとしたら、自分の意識は二つ存在することになってしまう。自分は一人なのに、デジタルの肉体と、生身の肉体、二つの肉体で意識を持つことになるわけだ。
コンピュータ内のAさんも、生身のAさんも、「私はAである」と認識していて、自分の頭で考えて、五感で世界を感じることが出来て、自分の意志で体を動かすことが出来る。どちらも、機械のようにプログラムされた通りに機械的に無意識に動く意思を持たない物体ではない。突拍子もないことを思いついたり、ふざけたりもするカオス的に動く存在だ。
Aさんの意識がコンピュータ内で目覚めて、コンピュータ内にいるAさんに、自分はAであるという認識が生まれたら、今までAさんにとって「自分」であったはずの元の肉体は、コンピュータ上のAさんの視点からすると、自分なのに「他人」ということになってしまうのではないか。
なぜなら、自分の意志で動かしているのは、コンピュータ内にアップロードされたほうの自分であり、生身の自分は、自分の意志ではなく、生身の自分が独自に動いているからだ。その逆もあり得る。生身の自分にとって、コンピュータ上の自分は自分であるのに他人であるというように。
もし、生身の自分も「自分」であり、生身の自分にも自分は自分であるという「意識」があるとすれば、自分は一度に二つの脳みそを操っていることになり、「自分の意識」は脳みそ内に宿るのではなく、自分の肉体以外の場所に存在することになる。
もしそうなれば、「人間の魂」だとか「霊」といったものが存在していてもおかしくないことになる。なぜなら、肉体とはまた別に、自分の意識が独立したものとして存在していると、自分の魂的なものが存在することになるからだ。
脳内に「自分の意識」がないのだとすれば、人間は、肉体が死んでも、自分自身は存在し続けることになる。なぜなら、自分自身は脳内のデータでも、肉体に宿っているわけでもなく、肉体の外部に存在するからだ。
人間は、脳には「記憶」を記録していて、「自分」というOSをアウトソーシングしていたら面白いな~と考えているが、そんなことは無いか。
やはり、人間の「意識」と「肉体」はセットになっているのだろう。
ホールブレインエミュレーションで自分の精神を仮想世界にアップロードすることはできたとする。しかし、コンピュータシミュレーション内にアップロードした自分が自分として意識を持つことはできない可能性が高い。
もし、自分の意識をコンピュータシミュレーション内に移植できたとすると、電源が存在する限り、動き続けるので、ほぼ不死身の状態になる。
故障したり、電源がなくなったりしない限り、自分が自分として存在し続けることが出来るんだが。
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