移動式のブログ

ガジェット、アニメ、プログラミング、考えたことその他色々・・・特にこれといったテーマはないカオスなブログです。

github にpush メモ

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Github でNew repositoryをおして、新たなリポジトリを作る

Githubに送りたいフォルダに移動して、コマンドを入力する

$git init

$git add -A

$git commit -m"コメントここに書く"

$ git remote add origin https://リポジトリのURLをここに書く

$ git push origin master

これでGithubソースコードとかを保存するこができる。

駄文の掃き溜め

ブログを書く理由


脳内がカオスなので、ブログを書くことで脳内のガス抜きをする。脳内の混沌を発散するために書いている。

頭の中に、自作のゲームシナリオとか、物語とかが浮かんできて、誰かにそれを話したい衝動に駆られることが頻繁にある。

そのため中学生、高校生の時に、いつも一人でいて暇そうにしている感じの人に自分から向かっていって、長々とくだらない話を聞かせていた。

その延長線上として、ブログでも、自分の脳内に浮かんでくる、色々な事を吐き出したくなってきたので、ブログを書いている。



あともう一つは、自分の生きた証的な意味で書いている。
何も自分の歴史を世界に残さないというのはもったいない。
そのため、ブログで自分の考えたことを世界に残したい。




要するに、自己満足のブログです。
面白く言うと、このブログは駄文の掃きだめだ。





中学生の時に小説のようなものを書いていたし、文章書くのが得意でない割にはやたらと文字を書いている。
「好きこそものの上手なれ」なんてことは無いな。

おそらく、俺は、文章を書くことが好きなわけではなく、何かを表現することが好きなのかもしれない。
絵を描いたり、プログラム組んだりするのが好きなのも、それが原因なのだろう。
普段、自分から人に話しかけることがあまりないのに、自分の話を人に聞かせていたのも、自分の考えを表現しているのが楽しかったからということか。

これからも、暇があるときはネット上にどんどんソースコードとか絵とか文章を吐き出したいと思う。

円周率求めるアルゴリズム

ガウスルジャンドルアルゴリズム

idoushiki.hatenablog.com

以前、円周率を暗記するゲーム「PIMEMORIZER」を作成した。
円周率って無限に続くけど、どうやって円周率を求めるのだろう?どんなふうに求められているのかなーと思った。
「円周率 アルゴリズム」で検索したら「ガウスルジャンドルアルゴリズム」というものがあったので、Pythonでプログラム組んで計算してみた。


ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム - Wikipedia



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まず、これが初期値




f:id:idoushiki:20170504202411p:plain
そして、この4つの式を何度も計算する



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四つの式を何度も反復して計算して得た答えをこの式に当てはめて、円周率を求める


これら式をPythonで書いてみる。

Python3で組んだコード

適当に19回ぐらい繰り返して計算させることにした。
桁数は20桁分まで見れるように"{0:.20f}".format(pi)

実行結果

2.91421356237309492343
3.14057925052216857509
3.14159264621354283875
3.14159265358979400418この行から答え同じ↓
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418
3.14159265358979400418

計算するごとに、3.14159....とより正確な円周率に近づいていることがわかる。
しかし、四回目から、同じ計算結果しか出なくなってしまった。

円周率πの計算:ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム
このサイトは、ガウスの円周率求める式を計算したようだ。

このサイトによると、64ビット浮動小数点で計算しているので、14桁分まで求めるのが限界だそうだ。
ウイキペディアにも、
倍精度浮動小数点数 - Wikipedia
指数部が全て 0(ゼロ、および非正規化数)の場合を除き、通常の数(正規化された数)の精度は、53ビット相当、十進に直すと約16桁であると書いてある。
「3」と「.」も合わせれば、確かに16桁分になる。円周率も、3.14159265358979までは、あっている(円周率表)。


正確に求めるには、もっと高度なプログラムを組まないといけないようだな。

ブラウザ プログラミング言語実行環境

プログラムを実行できるサイト

新しい言語を学びたいけど開発環境整えるのがめんどくさい。
自分が組んだコードの動作をすばやく確認したい。
そんな時に役に立つサイトでも載せておこう。

開発環境がなくてもオンライン上でコードを実行できるサイト一覧

Web-based online coding environment | paiza.IO
パイザのオンライン実行環境
援護を選んで、ソースコードを書いてボタンを押すだけで簡単に実行できる

Free Online IDE and Terminal
Tutorialspoint
とにかく実行できる言語のバリエーションが豊富だ


Create a New Pen
HTML,css,Javascriptの実行環境。Web開発向きの実行環境

ユダヤ教バージョンハラル

ハラルとカルシュート

イスラム教には、食べることが禁止されている食べ物がある。
例えば、豚やお酒などは食べてはいけない。牛などは、決められた処理をしたものなら食べられるなどのように。
そして、お店などで売っている商品で、「ハラルマーク」がついている食べ物がある。
ハラルの食品は、イスラム教の人が食べても大丈夫な奴であることを知っている人は多いと思う。
日本でも、輸入食材や、輸入菓子にハラルマークがついているものがあるので、実際に見たことがある人はいると思う。


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↑輸入菓子についているハラルマーク



しかし、ユダヤ教徒が食べてもいい食事を規定する「カルシュート(コーシェル)」というものがあるらしい。つまり、ハラルのユダヤバージョンということだ。
これは初耳だった。

わかるユダヤ学(手島 勲矢)
によると、旧約聖書に、宗教的に不浄な動物があり、その代表例は、豚、タコ、イカ、エビ、カニ、ウナギ、貝類などがあるようだ。
他にも、肉類と乳製品を一緒に食べてはいけないなどがある。そして、野菜と果物は、すべて食べても大丈夫(コーシェル)のようだ。
そして、ユダヤ教圏の国には、イスラム教のハラルマークと同様に、コーシェルであることを表す、コーシェルのマークが存在する。
このマークは、ユダヤ教徒が食べても大丈夫な調理をした食材につけられる。

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↑コーシェルのマークの例

例として、コーシェルの食品は、上の図のように、三文字のヘブライ文字であらわされているものがある。

禁止食材を食べてもいい例外

例えば、イスラム教は「豚肉は食べてはいけない」みたいな決まりがあって、日本人にとっては、厳しいなと思うかもしれない。
しかし、イスラム教の場合、「命の危険があるとき」などは、禁止されている食べ物を食べても良いという考え方があるそうだ。
なぜそういう考え方があるかというと、豚肉を食べないことによって、飢えで一人の教徒が死んでしまうとする。
その場合、その人がイスラムの教えを広めることが出来なくなる。
その人が死んだことが原因で、新たなイスラム信者になるはずの子孫が生まれる可能性がなくなる。
つまり、信者の数が減るということだ。
長い目で見ると、イスラム世界全体にとってかえって損することになってしまう。
そのため、自分の命に危機があるときは、豚肉などを食べても許されるらしい。

ユダヤ教にも、禁止されているものを口にしても良い例外のバターンがあるそうだ。

あなたの人生は何回目?

永劫回帰と確率


自分が死んだら、すべてが終わるのか?
もう二度と意識をもって何かしらの生物としてこの世に登場することもない。
その上、今自分自身が意識をもって、人間として生きていることは、今限定であるということになる。

しかし、今現在、意識を持っているということは、自分が今の自分として生まれる前にも、何らかの形で、「自分」という意識を持った何かとして、存在していたんじゃないだろうか。
それとも、この意識は、肉体によって作り出されているのだろうか。それとも、何度も自分の人生はまったく同じように繰り返されるのだろうか。

永劫回帰という概念がある。
永劫回帰 - Wikipedia

例えれば自分が死んだとしても、また再び自分の人生が繰り返されるということだ。
なぜ繰り替えされるか。

3つのサイコロを順番に振って、1が三回連続で出る確率は1/6×1/6×1/6で、216分の一になる。サイコロを振ることが出来る回数に制限があれば、全く同じ現象を繰り返して起こすことは不可能に近いが、サイコロを振る回数の制限が無限大であるとしたら、いずれか必ず全く同じ事象がおこると考えられる。例えば、今言ったように、三回連続で1の目が出たとして、その後に、サイコロを永遠に振り続けていれば、何度でも、三回連続で1の目がでる状態に出くわすことになる。確率は低いが、何度もサイコロを転がしていれば、同じ目の出方をするということだ。

それなら、宇宙に関してもそれと同じことが言えるのではないかということだ。
今現在の宇宙が滅びて、地球や太陽系、銀河系など、すべてが消えたとする。
そして、その後、何度も、宇宙が表れては消滅するが永遠に繰り返される。
永遠に、それが繰り返されていくうちに、再び、今と全く同じ宇宙が誕生して、全く同じ地球が出来て、さらに、自分という人間が、全く同じように生まれてくる可能性はある
る。
時間は永遠にあるのだから、世界は、有限である物質の組み合わせでできている。そして、時間は無限に流れ続ける。
それなら、今と同じ世界が過去にも存在していて、また、未来にも今と同じ世界が生まれるのではないかということだ。


サイコロは216回振ったうち、一度は連続で同じ目が出てくる確率だ。そして再び216回振れば、また同じ目が三回連続で出てくる可能性がある。
それならこの自分たちが住んでいる世界も、その数が大きくなっただけの事であり、「滅亡と誕生が繰り返されるうちに、全く同じ世界が誕生する」というのが永遠に繰り返されるのではないか。
もしその可能性があるのなら、自分が死んでも、また、自分が自分という人間として生まれてくるということになる。そして、自分は今、生まれてくる以前にも、全く同じような人生を送っていたことになる。


しかし、無限の時間を与えても、全く同じことが起こらないカオス理論だとか、量子論とかで、この「全く同じ世界が何度も繰り返される」ということは無いという理論もあるようだ。
俺はバカなので、そこまで深く考えてはいなかった。
しかし、人間が生きられる年数には限りがあるし、太陽系にも宇宙にも寿命があるので、本当のことは誰も直接確かめられない。

ホールブレインエミュレーションと意識

ホールブレインエミュレーション(whole brain emulation)と意識

ホールブレインエミュレーションが実現したら、自分の意識をコンピュータ内にアップロードできる。
その場合、コンピュータ上の自分は自分であるという意識を持てるのだろうか。

ホールブレインエミュレーションとは、人間の脳みそをマシン上で再現することだ。それができると、精神をコンピュータ上にアップロードすることができる。脳みそをリバースエンジニアリングして、人間の脳と同じ働きをするハードウェアとソフトウェアを作ることが出来れば、人間の精神をその中に移動させることができる。
もし、自分の意識をコンピュータに移植したとしたら、自分の生身の体の脳みそはどうなるのだろうか。生身の脳みそ内の記憶が消えないとしたら、自分の意識がコンピュータ内で目覚めて、さらに、生身の自分のほうも、今まで通り自分の意志で動くはずだ。

生身の自分も、デジタルの自分も、自分であるとしたら、自分の意識は二つ存在することになってしまう。自分は一人なのに、デジタルの肉体と、生身の肉体、二つの肉体で意識を持つことになるわけだ。

コンピュータ内のAさんも、生身のAさんも、「私はAである」と認識していて、自分の頭で考えて、五感で世界を感じることが出来て、自分の意志で体を動かすことが出来る。どちらも、機械のようにプログラムされた通りに機械的に無意識に動く意思を持たない物体ではない。突拍子もないことを思いついたり、ふざけたりもするカオス的に動く存在だ。

Aさんの意識がコンピュータ内で目覚めて、コンピュータ内にいるAさんに、自分はAであるという認識が生まれたら、今までAさんにとって「自分」であったはずの元の肉体は、コンピュータ上のAさんの視点からすると、自分なのに「他人」ということになってしまうのではないか。
なぜなら、自分の意志で動かしているのは、コンピュータ内にアップロードされたほうの自分であり、生身の自分は、自分の意志ではなく、生身の自分が独自に動いているからだ。その逆もあり得る。生身の自分にとって、コンピュータ上の自分は自分であるのに他人であるというように。

もし、生身の自分も「自分」であり、生身の自分にも自分は自分であるという「意識」があるとすれば、自分は一度に二つの脳みそを操っていることになり、「自分の意識」は脳みそ内に宿るのではなく、自分の肉体以外の場所に存在することになる。

もしそうなれば、「人間の魂」だとか「霊」といったものが存在していてもおかしくないことになる。なぜなら、肉体とはまた別に、自分の意識が独立したものとして存在していると、自分の魂的なものが存在することになるからだ。

脳内に「自分の意識」がないのだとすれば、人間は、肉体が死んでも、自分自身は存在し続けることになる。なぜなら、自分自身は脳内のデータでも、肉体に宿っているわけでもなく、肉体の外部に存在するからだ。

人間は、脳には「記憶」を記録していて、「自分」というOSをアウトソーシングしていたら面白いな~と考えているが、そんなことは無いか。
やはり、人間の「意識」と「肉体」はセットになっているのだろう。

ホールブレインエミュレーションで自分の精神を仮想世界にアップロードすることはできたとする。しかし、コンピュータシミュレーション内にアップロードした自分が自分として意識を持つことはできない可能性が高い。
もし、自分の意識をコンピュータシミュレーション内に移植できたとすると、電源が存在する限り、動き続けるので、ほぼ不死身の状態になる。
故障したり、電源がなくなったりしない限り、自分が自分として存在し続けることが出来るんだが。



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